2025年11月2日(日)
第一朗読 知恵の書 知恵3・1-6、9
神に従う人の魂は神の手で守られ、
もはやいかなる責め苦も受けることはない。
愚か者たちの目には彼らは死んだ者と映り、
この世からの旅立ちは災い、
自分たちからの離別は破滅に見えた。
ところが彼らは平和のうちにいる。
人間の目には懲らしめを受けたように見えても、
不滅への大いなる希望が彼らにはある。
わずかな試練を受けた後、豊かな恵みを得る。
神が彼らを試し、
御自分にふさわしい者と判断されたからである。
るつぼの中の金のように神は彼らをえり分け、
焼き尽くすいけにえの献げ物として受け入れられた。
主に依り頼む人は真理を悟り、
信じる人は主の愛のうちに主と共に生きる。
主に清められた人々には恵みと憐れみがあり、
主に選ばれた人は主の訪れを受けるからである。
第二朗読 使徒パウロのローマの教会への手紙 ローマ8・31b-35、37-39
皆さん、もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。
しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。
福音朗読 ヨハネによる福音 ヨハネ6・37-40
そのとき、イエスは人々に言われた。「父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」
福音のメッセージ
今日、わたしたちは死者の日を迎え、すべての亡くなった人々を思い起こし、祈りをささげます。私たちは「死」を避けがたい別れとして経験しますが、信仰の光のもとで見ると、死は終わりではなく、神のもとへの帰り道です。
神に従う人の魂は、神の手の中にあり、平和のうちに生きています。人の目には悲しみや断絶に見えても、神のまなざしの中では、その魂は金のように清められ、永遠のいのちへと受け入れられています。死者の魂は、神の愛に包まれ、決して孤独ではありません。この神の愛こそ、使徒パウロが「何ものも私たちをキリストの愛から引き離すことはできない」と語った愛です。死も、命も、天も地も、どんな力も、わたしたちを神の愛から切り離すことはできません。だからこそ、亡くなった方々とわたしたちは、祈りのうちに、愛のうちに、今も深く結ばれています。イエスは言われました「わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。…その人を終わりの日に復活させる」と。この約束は、悲しみのただ中で私たちを支える希望です。死者は失われたのではなく、キリストのもとに憩い、終わりの日に新しいいのちへと招かれるのです。
わたしたちはこの確かな希望をもって、愛する人々のために祈ります。彼らが神のやすらぎのうちに憩い、いつの日か、わたしたちも彼らと再び出会い、永遠のいのちを共に喜ぶことができますように。死を越えて働く神の愛に、今、心から信頼し、感謝をささげましょう。
ヒ神父
